はじめまして。
渡辺亮平(わたなべりょうへい)と申します。
出身:石川県
大学:金沢星稜大学
現在地:大阪
これまでの居住地:福井、横浜、川崎、東京、広島、福岡、大阪
人生で経験したこと:就職、転職、退職、結婚、離婚、残業代請求、無賃朝礼の通報、東証上場一部企業の社員、道ばたで知らない女性に泣きながら抱きつかれたことがあります
座右の銘:自分に関わってくれた人はみんな幸せになってほしい
暗黒の会社員時代
とつぜんですが、
わたしは会社員失格でした。
その会社の始業時刻は朝9:00でした。
ところが、15分間前には朝礼があります。
8:45に到着したら、「遅刻だぞ!」と叱られました。
- 9:00には業務が開始できるようにしておく
- 8:45には朝礼を行う
- つまり8:30には朝礼準備と仕事準備をおこなう
と、ものすごい三段構えです。
あなたも「間に合っているのに、怒られた」という経験があるかもしれません。
そんな不思議なことがあるの?と疑問に思いながらも会社員をしていました。
いっぽう、定時は18時だったのですが、これも残業地獄です。
早いときで19時、遅いときは21時を回ることもあります。
いちど、営業顧問に残業代が貰えないのか話したことがありました。
「営業マンにそんなものがあると思うな!」
「成果が出るまで事務所に帰って来なくていい」
「毎朝、誰より早くきて事務所清掃をするように」
とコテンパンです。
営業手当すら出ていませんでした。
それから数ヶ月間。
サービス残業で外回りをして、成果がない日は上司の顔色を伺いながら事務所へ戻り、また翌日の朝7時半には事務所ご近所をほうきで掃き続けました。
ある日、これっておかしいことなのかな?と、同僚や先輩に聞いて回りました。
返ってきた意見は
「合わないなら辞めたら?」
「成果を出してないんだから文句言えないよね」
それは、そのとおりです。
だけど孤立無援という言葉が浮かんで、そのときはじめて「しんどい」という気持ちが滝のように流れてきました。
社長面談と、即日の異動
ある朝、遅刻をしました。
遅刻といっても始業9:00に対して8:30頃に到着しただけです。
到着してみたら、営業部の社員8人全員が揃っていました。
来て早々、営業顧問が吠えます。
「お前、こんな時間に来て何様や?みんなもう働いとるやろうが!やる気がないなら帰っていいぞ」
つい私はムカっときて、言い返しました。
「そうですか、帰ります」
「おう、帰れ。反省するまで来なくていいからな!」
「承知しました。自宅待機します」
上司の激昂は理不尽としか思えず、言われるままに帰って、その日は自宅で過ごしました。
翌朝、事務所で営業顧問を待ちました。
「おはようございます」
と顧問に挨拶をしたところ、
「なんやお前、反省したからここにいるんか?」
「いえ。何が反省かといわれると、わかりません」
「じゃあ帰れ。分からないのに来るな」
「承知しました」
このやり取りを毎朝、6日間繰り返しました。
7日目、とうとう社長に呼び出されました。
「渡辺さん、無断欠勤はねぇ…」
「無断欠勤ではありません。自宅待機の指示に従っただけです」
「そうですか…あなたもう、コールセンター部署へ行きなさい」
「転属命令ですね?承知しました」
その日のうちに荷物をまとめて、営業所を後にしました。
残業代請求
コールセンターは、天国でした。
優しい上司、気の遣いあい、仕事の合間の雑談。
「こんな職場ってある?」
販売営業部に勤めていたときのストレスから一転、朝日を浴びたような、晴れやかな気持ちで働くことができました。
ここでの経験が、後にコールセンターの能力を開花させてタイムズへ転職するきっかけとなります。
それでも、自分のなかで営業部署に対する暗い気持ちが残っていました。
転職する前に「残業代を請求すること」は、わたしの中での決定事項だったのです。
福井ユニオンに相談して、まず証拠固めを行いました。
「朝は早く来い」と言われ続けていた”上司の出社命令”を刻々とメモし、毎日の出退勤時刻をすべて手帳に付けて、さらに自分宛にメールを飛ばす。
これらが言い逃れのできない証拠になったようです。
結果、満額とはいきませんでしたが、残業代を取り戻すことができました。
嬉しい気持ちもありましたが、それ以上に「疲れた…」という感想が強いです。
ここで学んだことが2つあります。
1つは、サービス残業は絶対悪だということです。世の中の誰ひとりとして、無賃残業に泣き寝入りはしてほしくありません
もう1つはパワハラが報われることはほぼ無いということです。
ユニオンにも相談しましたが、上司との軋轢が、なんらかの形で報われたり、金銭的な形で解決できる可能性は低いそうです。仮にできたとしても、労力ばかりが掛かって、得られるものは無い、という結果になってしまうようです。
これはわたしの経験と照らし合わせても、およそ間違いはなさそうです。
環境の変化、そして確信
転職してから、パワハラと言われるものに遭うことはなくなりました。
さすがは東証一部上場のタイムズ。
いい上司、いい部下にも恵まれたし、任された新人教育も、得意な分野だと気づかせてもらえました。
それでも、言いようのない違和感は続きました。
一般的な会社員というと、多くの場合が朝は7時半くらいに起きて、約10時間を仕事にささげて、夜は8時や9時に帰ります。
この生活サイクルが、どうしようもなくつらいことに気が付きました。
朝のめざまし時計に起こされるのがしんどくて
職場の方たちと顔を合わせるのがしんどくて
仕事に忙殺されるのがしんどくて
行き帰りの満員電車がしんどくて
仕事の後に、自分の時間を削って飲み会に出るのがいやで
休日も楽しみたいのに寝だめばっかりするのが自己嫌悪で
翌日、また同じ時間に起きなきゃいけないのがしんどくて
仕事をやめたい気持ちでいっぱいになりました。
一般的な会社員は、月給を時給に換算すると、1時間あたり1000円〜3000円の世界です。
言い換えるなら、自分の寿命を1時間捧げるごとに平均2000円のお給料を貰っています。
わたしにはそれが耐えられませんでした。
つまり、一般的な会社員と言われる仕組みに、わたしの身体が合っていませんでした。
退職、そして自由の身に
2016年8月。
部門長に退職の意思を伝えたところ、止められることはありませんでした。
退職して何するんだ、と聞かれたとき「短時間のバイトでもして生きられればいいです」と伝えたところ「解せんなあ」と返ってきました。
そして2017年1月、退職をしました。
その後はあえて知り合いのいない福岡に住んでみたり、ハローワークの職業訓練校を受講してウェブ制作・プログラミングの学んだりと、まるで学生に戻ったような気分です。
縛られるものが何もない、最高に楽しくてすてきな時間を過ごしました。
「天職」はここにありました
2018年3月。
奥村さん(仮名)と出会ったことが人生の転換点となりました。
奥村さんは退職コンシェルジュという、世の中では珍しい職業をされていました。会社でつらい思いをしたり、困っている方に向けて、適切な退職方法をご提案するというお仕事です。
まさに、過去のわたし自身が必要としていた内容でした。
上司から理不尽なことを言われ続けるひと。
残業ばかりでプライベートの時間が取れず、朝も早く出るひと。
病気があって満足に働けず、ストレスでどうにかなりそうなひと。
奥村さんは、こういった働き方に疑問を覚える方たちの希望でした。
こうしてわたしは退職コンシェルジュの魅力に取り憑かれ、奥村さんの所属会社と協業しながら退職かけこみ寺(現:全国退職者支援会)が立ち上がりました。
※現在、奥村さんの会社と全国退職者支援会は離別し、別団体となっております。
2018年は全国退職者支援会のサービス提供に打ち込み、みずから述べ1000名を超える労働者の皆さまの相談に乗らせていただきました。
中には、わたしと似た半生を送っている方もいれば、想像もつかないほどの苦しみを受けられている方まで、さまざまな方からの相談が寄せられています。
「天命」に続きました
そして2019年3月。
対応を継続する中で、ひとつの疑問がありました。
全国退職者支援会の提案する傷病手当金など活用すれば、たしかに一時的に生活は安定します。ありがたいことに、感謝の声もものすごくたくさん頂いています。
しかしそれも、生活に最低限の給付金です。
給付金があるうちにしっかり休養を取って、今後の進路を考え、再就職先を決定する。
これが、支援会の望む、大切な流れです。
ではそもそも、そんな働き方ができない方は?
病気などで思うように社会復帰のできない方は?
社会復帰をしても、居場所があるか不安な方は?
一体どうしたらいいのでしょう。
これはまさしく、わたしが失業後にもがいていたことと一緒だったのです。
だから、本サイト『ニゲドク~会社から逃げたら得した系メディア~』が立ち上がりました。
『全国退職者支援会』では、パワハラやサービス残業に立ち向かうことで、目の前の悩みを取り除くことができます。
だから『ニゲドク』では、人生的な悩みを無くすことに重きを置きたいです。つまり人生の充実という方向にシフトしたいのです。
それは再就職かもしれないし、独立かもしれないし、副業かもしれないし、ボランティアで人生が充実することだって全然ありえます。
自分ってなんのために生きてるんでしょう?全力で模索しましょう!
いろいろあって、全国退職者支援会を他社さまに無償譲渡しました。2021年のゴールデンウィークからうつ症状がひどく、まともに働けませんでした(現在は体調回復し、新たな可能性を模索中です)。サポートは変わらず続いているので、会員の皆さまはご安心ください。
ニゲドクは「単なる雑記ブログ」ではありません
ニゲドクの執筆者は、わたし渡辺亮平です。
だけど、亮平の元に集まる情報は、さまざまな方のお力を借りて、集まっています。
- 会社経営者さま
- デザイン会社の社長
- プロジェクトの立上げ人
- 人材派遣会社のオーナー
- 医療クリニックの設立者 など
皆さんさまざまな角度から、話を持ち寄ってくれます。わたしがみずから現地に行って話を伺い、その内容を精査し、皆さまに紹介してもよいと思ったものだけを掲載しています。
話の真実性を確かめるためなら、カンボジアにも、ウクライナにも行きました。
そして鮮度の失われた記事は、極力非公開にしています。
だから、他で検索してもなかなか出てこない内容も、ニゲドクにならあるかもしれません。ないかもしれません。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
できることなら、
あなたとも、末永く
お付き合いできる関係でありたいです。
渡辺亮平 2019年3月11日(2023年5月更新)