こんにちは。
渡辺亮平です。
カンボジアでは、2つの法定通貨が流通しているのをご存知でしょうか。
・自国通貨のリエル紙幣(R)
・米ドル紙幣($)
実はこの2つの法定通貨、圧倒的に使われているのは米ドルなんです。
本記事では、そんな疑問にお答えします。
自国通貨「リエル」の悲しい過去と、実態
カンボジアでは、もともと自国通貨であるリエルが主流で使われていました。
しかし、あるときからリエルは米ドルに置き換わりました。その背景には、カンボジア王国の暗い過去があります。
カンボジアの通貨の歴史を見てみましょう。
年 | カンボジアの通貨の歴史 |
---|---|
1953〜 | カンボジア・ラオス・ベトナム国立発券局(※1)のカンボジア支店がリエルを発行 |
1975〜 | クメール・ルージュ時代(※2)、リエルの廃止 |
1980~ | ポル・ポト政権が崩壊し、リエルが復活 |
1991~ | 国連の活動により多額のドルが持ち込まれ利用される |
※1カンボジア・ラオス・ベトナム国立発券局・・・銀行に似た機関。当時この3か国はフランスの植民地で使われる共通通貨のほか、各国の通貨も使われていた。
※2クメール・ルージュ・・・カンボジアの反政治組織
1953年~:フランス領インドシナ時代
この当時、カンボジアとラオス・ベトナムはフランスの植民地時代でした。3か国共通の通貨としてまず「ピアストル」という通貨が誕生。
のちに、カンボジアだけで使える通貨として「リエル」が誕生しました。
1975年〜:クメール・ルージュ時代
カンボジアを語る上で外せない、悲しい過去のクメール・ルージュ時代。
ポル・ポト政権という独裁政権が始まり、多くのひとびとや知識人が大虐殺されました。この時にリエルはまだ存在していましたが、通貨としての利用ではありませんでした。
やがて銀行制度や、通貨制度そのものが廃止され、ひとびとは物々交換を強要されていました。
1980年~:ポル・ポト政権が崩壊しリエルが復活
独裁政権が崩壊し、ようやくカンボジアにも通貨リエルが復活しました。
しかし、通貨としての価値はほとんどない時代でした。
1991年~:多額のドルが持ち込まれるようになる
90年代から、国連の平和維持部隊も加わり、経済発展の目的で国外から多くのドルが持ち込まれるようになりました。これはカンボジアが最貧困国として扱われていたためです。
ここでさまざまな経済活動にはドルが主流となり、カンボジアは復興を果たし、現在に至ります。
カンボジアの人はどうしてリエルを使わないの?
せっかく自国通貨のリエルが復活したのに、どうしてまだドルが主流なのでしょうか。
その理由として、
・リエルのレートが不安定
・1リエルあたりの価値が低い
ということが挙げられます。
そもそもカンボジア国民は、リエルという通貨を信用していません。
リエルはお金としての価値がないと思っている人もいるほどで、銀行口座の保有率もたったの2割程度です。
まったくの無価値ということはありません。
カンボジア政府としても他国の通貨で満足しているわけではなく、リエルの価値を上げる取り組みを行っているようです。建築業や公共部門ではリエルが主流です。
また都市部は依然としてドルが主流ですが、農村部や地方はリエルが主流というところも多く存在します。
また後述しますが、お釣りがリエルというケースも多いです。
お釣りではリエルをもらうことがある
(画像は500リエル札。日本の援助で架けた「きずな橋」と「つばさ橋」とともに日本国旗が描かれている。感動しました)
都市部はドルがメインで使われているといっても、リエルを手にすることは必ずあります。
1ドル=4000リエル
で計算するルールですが、1ドルに満たないお釣りなどは、リエルで返ってきます。
セント硬貨で返ってくるかと思いきや、ここはリエルなんですね。
わたしもカンボジアに旅行した際、レストランなどでお釣りをリエルで受け取ったときは戸惑いました。お釣りが合っているのかも分からない上、リエル札が何枚も手元に残り、数え慣れてもいなかったためです。
※レシートを貰う場合は、かならずドルとリエルの両表記があります。
また、リエルは国外で両替すらできない通貨です。リエルを受け取った場合は、なるべく使い切るようにした方がいいですね。
まとめ
現状はまだまだリエルが信用されておらず、ドルが主流です。
その背景には、カンボジア国民がみずから手放したとは言うには辛い、過去がありました。
しかしカンボジアは経済成長も著しいため、リエルが権威を取り戻す日も来るかもしれません。
あるいは、フィンテックが発展しつつある今、カンボジア政府肝いりのKHT通貨など、デジタル決済が台頭することも十分ありえる話かもしれません。
皆さんは、今後どうなると考えるでしょうか?