▼性格は、何によって変わるか?
「ジュブナイル作品」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
一言でいうと「少年少女が成長する物語」です。
「子供らしい」「少年期の」「少年少女の」といった意味を持つ英語。英語圏ではジューヴァナイルと発音する。
ニコニコ大百科
成長するとは、いったいどういうことでしょうか?成長を言い換えると、
- できなかったことができるようになること
- 受け入れられなかったことが受け入れられるようになること
など、さまざまな表現があると思います。
ここで役の持つ性質、性格、人間関係の話に移ります。
- 性質は変わらないもの
- 性格は変わる可能性があるもの
- 人間関係は台本の中で決まるもの
でしたね。
過去記事:【第3回目その1】【重要】役ってなに?[性質・性格・人間関係]
この中では、成長とはまさに「性格」の部分だということが分かるでしょうか。
では、お芝居上の性格(変わる可能性があるもの)とは、いったい何がきっかけで変わるでしょうか?
時間経過?違います。リアルなら、「時間経過が失恋の悲しみを癒やしてくれる」なんてこともあります。しかしお芝居上では、時間が経過しても一切変化しません。
答えは「人間関係」です。
人間関係(=台本の中から読み取れる人間関係)の中に「きっかけ」があり、そのきっかけを役が受け取って、はじめて性格が変わるのです。
難しいですね。ひとつ例えを出します。
これが「人間関係から生まれたきっかけ」を「役が受け取り」、「性格が変化した」例です。
人間関係から生まれたきっかけを
↓
役が受け取り
↓
性格が変化する
父親の性質(=見た目、年齢など)は変わっていません。しかし性格(=温厚な父が人を殺す決意をするなど。変わる可能性のあるもの)が変わりましたね。
ここで注意したいのは、「凶器を持った男が存在するだけ」では、父親の性格は変わらないことです。
「凶器を持った男が、大切にしている家族を殺した」からこそ、父親の性格は変化したのです。
▼人間関係のない「きっかけ」では、性格は変わらない
さらに例えを出します。では「隣町で一家殺人事件が起きた」場合、温厚な父親の性格は変わるでしょうか?
まあ、性格の変化は起きないと思います。
殺人事件が起きたこと自体は「きっかけ」であっても、そこに人間関係が無いからです。
もうひとつ例を出しましょう。
隣の家の家族が殺されましたとします。
家族のうちでたまたま1人だけ助かった隣家の子供が、あなたのもとを訪ねてきました。
「復讐をするので手伝ってほしい」と言います。
あなたがこの子の復讐を手伝う(性格が変化する)のか、手伝わないのか(性格が変化しない)か、はたまた「復讐はやめておけ」と諭すのかは、隣家とのもともとあった人間関係次第ということです。
以上のように、「人間関係」はすべての根源です。すべての蛇口の元栓です。湧き出る水の源泉です。
人間関係が根底にあると、「この役は、相手に何をさせたいんだろう?」が自然と出てくるようになります。つまり「目的がはっきりする」ということです。
人間関係を追いかけていけば、おのずとストーリーは付いてきます。逆に言うと、「人間関係のないところ」は徹底的に省く(無視する)ことで、お芝居はさらに洗練されます。
▼人間関係が成立すれば、物語も成立する
極端な言い方をすると、性質・性格が無茶苦茶だったとしても、人間関係さえしっかりと成立していれば問題なくストーリーは進みます。
例えば、ルパン三世を思い浮かべてみてください。
峰不二子はルパンの仲間かと思いきや、ストーリー中でいつも裏切りを行います。
でも、裏切られてもルパンは「あちゃー・・・でもあいつはああいう奴だからな!」と、どこ吹く風だったりします。
これも人間関係の中で許容されるからこそ成り立つストーリーです。
お芝居とは「自分が何をするか?」ではなく「相手とどんな関係か?」に重きを置くことが大切です。
▼お芝居で「自分のため」はきわめて稀
たとえ話を出します。
あなたは、お友達をご飯に誘いました。このときの目的は何でしょうか?
少なくとも、「お腹が空いた(から、ご飯に誘った)」にならないことは分かるでしょうか。
ひとつの正解例としては「友達を自分と話させたい(から、ご飯に誘った)」になります。
過去記事:【第3回その2】【最重要】目的(メソッド)って何?
これも同じように、自分と友達の人間関係を出発点とすると、素直にこの目的が出てくるようになります。
目的と欲求は違う
現実世界では、目的と欲求はほぼイコールです。
「ご飯を食べたい」という欲求があって、「ご飯を食べる」という目的がありますよね。
しかし、お芝居上では目的と欲求はイコールではありません。むしろまったく異なるものです。
あえて断言するなら、「舞台上に欲求は存在しない」とまで言えます。
なぜなら、「欲求からドラマは生まれないから」です。
お芝居において「欲求」は存在しない。欲求からドラマは生まれないから!
欲求とは「〜したい」と言い換えられます。「食事したい。だから食事する」では自己完結になり、ドラマにならないのです。
いっぽう「友達をご飯に誘う」という言動は、「自分の欲求」からは生まれません。「自分の目的」から生まれます。
「友達を自分と話させたい」という目的を達成する手段を考えた結果、たまたまご飯だっただけなんです。何ならご飯ではなくカフェでも、映画でもいいわけです。
何度でも言いますが、お芝居に「したい」は存在せず、「させたい」しか存在しないことを覚えておいてください。
これら人間関係、役、目的といった概念は、「メソッド演技法」に準じた内容です。そして世界中のドラマ番組、映画、お芝居ではメソッドが主流です。
メソッドが成り立たない世界があるとすれば、ロシアの演出家メイエルホリド(1874-1940)の提唱する様式美(能やクラシックバレエ)の世界などです。
人間関係を観察できる映画
ジムキャリー主演の映画「ふたりの男とひとりの女」はおすすめです。
二重人格を持つ男が、場面によって人格が変わりながら物語が進行します。
つまり「役の性質・性格が入れ替わるのに周囲との人間関係が変わらない」ため、人間関係の部分が観察しやすいです。
また人格が変わる際には必ず「きっかけ」があります。何もなく人格が変わるように見えて実は「きっかけ」が沢山散りばめられています。
アクションがあって変わるのでなく、レスポンスの段階で人格が変わります。探してみてください。もちろん人格が入れ替わる時、目的も変わっています。
そして映画のクライマックスで多重人格の目的は一致していきます。面白いポイントです。
がんばりましょう!