台本を受け取ったら、最初に役者みんなで素読みなどをしますよね。
なぜそんなことをしているのでしょうか?
共通認識を持つためでしょうか?
それも大切なことですが、今回はちょっとアプローチが違います。
結論から言うと、台本のもっとも重要な読み方は、台本の中にある人間関係を読み解くことにあります。
今回の話はすこし難しいかもしれません。人間関係を読み解くことができると、「ただ演じてみる」ところから「自分は役の中で何をしたらいいのか」が、はっきりと分かり、迷いが無くなります。
▼なぜ、台本が無いと目的が作れないのか?
目的は、台本無しで作れると思いますか?
答えは、「台本無しで目的は作れない」です。それはなぜでしょうか。
「台本無しに役を配置しただけでは、物語がほぼ無限に生まれるため。だから台本というセッティングが無いといけない」なるほど、それもひとつの正解だと思います。ですが、まだあります。
逆から考えてみましょう。「なぜ、台本があることで目的が決まるのか?」ということです。
台本にセリフがあるから?いいえ、それでは順序が逆です。目的があってはじめてセリフ(言動)が発せられます。つまり「目的があるからセリフ(言動)がある」は正しくても、「セリフ(言動)があるから目的がある」は不正解です。
ヒントは、「過去からしか、現在と未来は作られない」です。
いかがでしょう、なにか案は出るでしょうか。
台本からしか人間関係は読み取れない
答えは「役同士の人間関係が、台本を読んではじめて分かるから」です。
台本を読んではじめて「役と役の関係性」が見て取れます。
役と役が存在するだけでは「人間関係」までは見て取れませんよね。役がどう影響しあってストーリーが進むのかが、台本のセリフやト書きに表れています。
そして、その「関係性」が分からないと「目的」は作れません。
役同士の人間関係がわからないと、目的は作れない!
役同士の関係性が分からないと、どうなるか
「台本がないと人間関係が分かりませんよ」と言われても、いまいちピンと来ませんよね。
そこでひとつ質問です。あなたに数年〜10年来くらいある、付き合いの長い友達はいますか?
いるなら、その友達と初めて知り合った1日目と、10年目のいま、「関係性」は違うでしょうか?
おそらく「関係性」は違うはずです。
1日目は言葉を交わすのすらたどたどしかったかもしれません。敬語を使っていたかもしれませんね。
でも10年目にもなれば、まぁ酒を飲みながら肩を組むくらいはできるのではないでしょうか?
これは10年分の積み重ねがあったからですが、この「10年の積み重ねという記憶」がまさに「台本」に該当します。
「私と10年来の友達との関係性は、こういうものなのだ」とハッキリさせるものが「台本」です。
台本を読むことで「この役と、この役って、これくらいの関係性なんじゃない?これくらいの距離感なんじゃない?」と、はじめて見当をつけられます。逆に台本が無いと、見当すら付かないのです。(おさらい:役とは性質、性格、人間関係の3つで構成される人物のこと)
台本とは、「人間関係」をとてもくっきり・はっきりさせる重要な役目を持っています。
▼自作できるものと、できないもの
性質(変わらないもの)と性格(変わるもの)は、自分で勝手に設定してOKです。
しかし「人間関係」だけは自分で勝手に設定することはできません。人間関係は台本の中から読み取る必要があるからです。※もちろん、台本を作った人(脚本家)は独自の人間関係があります
性質・・・自分で作る
性格・・・自分で作る
人間関係・・・台本から作る
難しく言うと、「”その役にとっての当たり前”を作る自然さ」を、台本の中にある人間関係で見つけていくのです。
台本とは、人間関係にスポットライトを当てているものと思って下さい。
▼台本のストーリーなんて気にしなくていい
台本の読み方で下手くそなものが1つあります。
それが「ストーリーを読むこと」です。意外ですよね。
これには明確な理由があります。当たり前のことですが、台本上に書かれているストーリーなんて、お芝居をすれば勝手に進んでいきます。そうやって1時間、2時間と演じれば、物語は勝手に終演に向かいます。
台本でほんとうに読み取るべきは、繰り返しになりますが「人間関係」なのです。「この山場となる部分は迫力があるぞ・・・」と見るより先に「人間関係」を気にしてあげるべきなんです。
逆に人間関係さえうまく成立していれば、ストーリーは勝手にうまく行くようにできています。ストーリーは人間関係に引っ張られていると言っても過言ではありません。
分かりやすい作品例が、脚本家・三谷幸喜の作る作品です。踊る大捜査線や古畑任三郎を作った人です。
すべての作品は、人間関係が根幹にあります。相手との関係が無いと物語は作れません。
がんばりましょう!