私たち役者は、ダブルスタンダードを持つことが求められます。
ダブルスタンダードって、なんでしょう?
直訳すると「2つの基準(標準)」です。
何が2つなのでしょう?答えは、
- 役としてのスタンダード
- 役者(作り手)としてのスタンダード
です。言い換えると、
- お芝居を中から見ること
- お芝居を外から見ること
という、両方の力が求められるということです。
例えば台本:ゴローは、役Aが盛大にボケて、役Bが鋭くツッコむお芝居に見えます。
こういったやり取りの中にアドリブを突っ込めるのも、役だけでなく作り手の意識があるからです。作り手から見たとき「だってそっちのほうがお芝居が面白くなるじゃん?」と冷静に判断できるからです。
また「舞台の嘘」を実現するのも、作り手の意識が必要不可欠です。例えを出すと、「空を飛ぶシーン」があったとして、その役は本当に空中を浮くでしょうか?不可能ですよね。
作り手として「役が飛ぶように見せるためにはクレーンで吊るか、飛んでるように舞台を駆け回るか・・・」と検討する必要があります。舞台の中を生きている役が考えることは不可能な領域です。
▼片方の意識が消失するとお芝居ではなくなる
お芝居で「役の意識」と「作り手の意識」は、常に両方存在しています。どちらか片方が消えることが絶対にありません。
役の意識しか持たなかった場合どうなるでしょうか?これは「自己満足が始まる」と言われています。
例えば、台本にコケるシーンがあったとき、「役の意識」が極端に強い場合(作り手の意識が無い場合)は、盛大にコケ倒して、怪我をすることがあります。
そこで役者は「だってその方がリアルじゃん!俺は本気で役に入ってるんだ!」などと言い出したらどうでしょうか?周りが引くのがなんとなく想像できるでしょうか。
このように、見ている人が不快になろうが関係なく、我が道を進み始めてしまうんです。
作り手の意識があれば「いくらコケると言っても、怪我はしちゃいけないよ」と踏みとどまることができます。
逆に、作り手の意識しか持たなかった場合も困りものです。
予定調和的な「役というより、それって役者だよね」と言われるような演技になってきます。極端な例は「木村拓哉って、何の役をやっても木村拓哉にしか見えないよね〜」と言われるような感じです。
役と作り手の意識は、バランスが大事!
▼役にも目的あり、作り手にも目的あり
お芝居にとって最重要の「目的」ですが、実は役にも、作り手にもそれぞれ目的があります。
過去記事:【第3回その2】【最重要】目的(メソッド)って何?
これまでは、役としての目的を作ってきました。
- 役としての目的
- 作り手としての目的
この2つが、ともに成立するものを探してあげてください。成立さえすればいつも通り「何をしても大丈夫」です。
私の役の目的:相手に「おはよう」と言わせたい
私の作り手の目的:物語が始まったことを観客に知ってもらいたい
私の役の言動:観客側にやや身体を向けて、明るく「おはよ〜」と言う
このダブルスタンダードがうまく出来ると、「ビビット(鮮烈)な演技をしながらも、冷静に演じる」ことができるようになります。
例えば役が激怒しているシーンであっても、ちゃんと激怒しながら作り手としてうまく冷静に物語を見ていられるようになります。
いきなりは難しいと思います。まずは基本の「役の目的」をしっかり作り込みつつ、頭の片隅に置いておきましょう。
「第三の目」とは
第三の目とは、お芝居を客観的に見ましょう・俯瞰で見ましょうということです。
自分の背後の上空に、常に三つ目の「目」があると思ってみて下さい。自分の演技がリアルタイムでカメラに撮影されていて、頭の中でモニター越しに見ていると思ってみて下さい。
作り手の視点で、お芝居がよく見えるようになります。
がんばりましょう!